桶狭間の合戦‼

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織田信長の天下取りのきっかけと
なった有名な桶狭間の戦い

この戦の場所は二つあると昔から言わ
れていますが、何処にあるのか?
疑問に思っている人も多いのではない
でしょうか?

TVの歴史番組で何度も取り上げられる
桶狭間の戦い

こちらのブログでは、歴史的に名高い
桶狭間古戦場について、ほか

周辺の話題をバスガイド目線でご紹介
しています

天下人【信長】の誕生は
桶狭間の戦いが始まりだった?

学生時代の歴史の授業や、最近のテレビ
番組などで頻繁に話題となる
【桶狭間の戦い】

2023年の大河ドラマ【どうする家康】
でも登場したこの戦は、結局どの様な
戦いだったのか?

時々、テレビの歴史番組で放送されて
いますので、疑問に思っている方も
多いと思いのでは?

今からおよそ460年前の1560年(永禄3)
駿河(静岡県)の大名であった今川義元

隣国、尾張(愛知県)に侵略するため
出陣した事が始まりと言われています

25000人今川軍と、対する織田軍
約4000人

両軍の差は、あまりにも違いがあり

さらに、信長義元の年齢差についても
一回り以上離れているため

戦の経験や、持っている領地の差でも
比べ物にならない対戦相手でしたが

それでも、恐れなく果敢に突撃した
信長大勝利を得た‼と言う

歴史上、大変化を起こしたでした

尾張一国の領主でしかなかった信長
この戦を持って、天下人になり、以降

信長ストーリーが数多く展開して行った
のですね!

どっちが本当??
二つある桶狭間合戦の地

桶狭間の合戦跡地は、昔から二つあります

一つは、名古屋市緑区ともう一つはお隣の
豊明市栄町

同じ愛知県ですけど、なぜ二つに分かれたのか?

正直、

この様な話は、どの地域にもよくある事で
ですが…^^;

今回の桶狭間の合戦地については、地図を
広げてみると、記録されてる場所は共に
とても近い…

個人的な思い…

戦国時代の戦の人数は、千やの万やのとにかく多い‼
一つの街の人口全てが参加しても足りないくらいの人が戦っている⁈

今現在は、それぞれ記念公園とか、史跡公園に整備されているため
その場所が戦国時代のまま広~い土地として残っているわけではないし

この二つの戦地に関しては、非常に近い場所である為

400年以上前は
現代の様に【愛知県名古屋市~】とか【愛知県豊明市~】など分かれていたわけではなく

一つの大地が【桶狭間の戦地】であったのでしょうから、結局

【桶狭間の合戦地】は二つに分けるのではなく名古屋市緑区も豊明市栄町も含む
大地であった

と、考えれば良いのではないでしょうか?…ねェ~(#^^#)

桶狭間~近隣の名所について

二つの古戦場跡地は、知多半島の入口に
に広がる大府市や、刈谷市に近い
名古屋市の南の外れに位置しています

 

名古屋市緑区の古戦場跡地の近くには
1963年に開園された広大な面積の
大高緑地公園

名古屋の競馬場…として知られている
中京競馬場があり

戦国時代には、思いもしない施設が点在
しています!

中京競馬場そのものは、お隣の豊明市に
属するのですが

中京競馬場前駅(名鉄名古屋本線)は
名古屋市内に属していて、ちょっと
変わってますね♪

大高緑地公園に関しては、私も子供の頃
当時あった巨大プールで何度か遊んだ
記憶があるのですが

残念な事にそのプールは2021年(令和3)
閉鎖されました…😭(老朽化のため

名古屋の都市伝説…

名古屋には
カップルで訪れると必ず別れる??
と伝わる名所があります…

実は、名古屋市内だけではなく、愛知県内ではけっこうあって、その一つがココ…

~ 大高緑地公園 ~  

※かなり昔の都市伝説…令和の今ではありません^^;🙏

旧東海道の伝統品~有松絞(しぼり)

1975年、日本の伝統的工芸品として
認定された有松絞(しぼり)

 有松絞 

桶狭間の戦地となった周辺には、江戸
時代から伝わる日本独特の工芸品が
生まれた宿場があります

旧東海道沿いに位置するこの地で誕生
した有松絞

江戸時代に大流行したと言われており
旅人は東海道の有名な土産ものとして
大量に購入していったとか?

絞りとは、木綿の生地の一部分を細かく
分けながら糸で縛り

一気に、染料の中に入れて染付たあと
糸を取り除き、乾かして広げた布で

特に子供用の浴衣や、帯上げとして使用
されていますね

私も子供の頃、絞りの浴衣を着た記憶が
残っています(^^♪

よく似た感じの【鹿(か)の子絞り】

元々絞りとは、京都の鹿(か)の子
京鹿の子が有名でした。

~ 京鹿の子 ~

京鹿の子は、木綿でなくを絞り
作ったもののため非常に高価であり
庶民の手に届きませんでした

以降、木綿藍染が流行となってから
その藍染絞りとして作るようになり
世間に広まったと言われています

当初は、絞りと言うと藍色製品が多く
見られましたが、現代では

非常にカラフルな色の商品があり、浴衣
だけでなく、子供用の帯上げや髪飾りの
一つとして頭に付けたり

首に巻くスカーフや男性のネクタイ、
小物入れなど、様々な商品として人気
となっています♪

有松絞の歴史はいつから?

絞り染め古くから世界各地で行われてきた技法であった。とくに、インドや中国での歴史古く、奈良時代には高度な絞り技術が伝来したと考えられている。

日本での歴史を見てみると、238年卑弥呼魏文帝絞り染めを貢したと記録が残っている。また、「日本書紀」には7世紀に外交使臣に献上したことが記載されている。

奈良時代には様々な絞り染めが作られ東大寺献物帳などにその記録があり、正倉院にも保存されている。

~有松絞りのはじまり~

有松は、1608年東海道の保全のため徳川家尾張藩の布告による移住政策で作られた町であった。もともと耕地面積が少なく農業には向かない土地だったため、村人たちは、農業以外の収入源を求めていた。

そのような折、開拓者の1人であった竹田庄九郎が何か特産物を作らなければと考え出したのが有松絞りだ。名古屋城を築城する際に訪れていた九州豊後の人々が着ていた絞り染めを見て、手法を研究し考案したという。はじめは手ぬぐいにして軒先に吊るして販売していたが、やがて旅人が土産物として買うようになり街道一の名産品となった。

17世紀後半に浴衣が一般的に用いられるようになると、絞りの需要が拡大。これに伴って、有松絞り技術も発達する。

技術の発展に貢献したのは、二代目竹田庄九郎であった。同氏は衣料としての絞り製品を開発。

また、従来の藍染に加えて紅染紫染めなど染色技術も開発し、産業の基礎を築いた

~工芸百科事典~より

まとめ

織田信長今川義元の戦いで有名な
桶狭間の合戦場跡は、二ヶ所あると
伝わっています

名古屋市緑区と豊明市栄町…共に愛知
県ではありますが

歴史的に有名な合戦の地は一体どちら
が正解なのか?

さらに

名古屋の歴史ある名産品有松絞について
ご紹介させて頂きました♪